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治療続き [潰瘍性大腸炎]

2010年04月06日
  朝、主治医登場。
  「昨日、速報ベースですが、サイトメガウイルス感染ではなく潰瘍性大腸炎による
   炎症および潰瘍という検査結果が出たので、プレドニンの投与を始めました。」
  とのこと。
  
  治療方針としては、絶食は継続。プレドニンとペンタサを投与して沈静化を図る。
  ということになった。

  プレドニンは20mg×2回点滴で投与。
  ペンタサは注腸で直接患部に投入。←肛門周りが過敏になっているのでこれが結構辛い。
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治療開始 [潰瘍性大腸炎]

2010年04月05日
  まもなく消灯時間。
  「今夜もまたしんどいんだろうな・・。」と考えていると
  看護士さんが「点滴が追加になりますのでね」と小さな容器をセット
        「今夜からプレドニンの指示が出てました。」
  私「あ・・ハイ」(心の中では、「ようやく来たか」)
  これで耐える日々も終わる。

  この夜、痛みはまだきついが熱発が37度台までだったのでかなり楽だった。
  ステロイド恐るべし。
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続:耐える日々  [潰瘍性大腸炎]

2010年04月03日
  関節痛がひどい。
  胸の奥が差し込むように痛いのは胸鎖関節炎。
  腰の奥が痛いのは仙腸関節炎。
  昼間はましなのだが、夜になると熱発が38度を超え痛みがひどくなる。
  夜中に2回位排便にいくのだが
  腰のせいでベッドから上体を起こすまでに20分くらい悪戦苦闘する。
  仰向けでフラットに寝てしまうと余計に痛むのでベッドを60度くらい起こした状態で
  寝るが浅い睡眠しか取れない。

  治療をしないのは、大腸ファイバーで発見された潰瘍性大腸炎らしからぬ潰瘍の原因を
  明確にするため。
  潰瘍性大腸炎であればステロイドで免疫抑制し、炎症が暴れている状態の鎮静化にかかるのだが
  もしCMV(サイトメガロウイルス)感染症であれば、免疫抑制は逆効果になるので
  その見極めがつくまで現状維持するとのこと。

  昼間、落ち着いたときに少し寝て、夜は痛み止めでごまかしながら耐える日々が続く。
  
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耐える日々 [潰瘍性大腸炎]

2010年04月03日←(日付間違えていたので修正しました 修正前:2010年04月05日)
  夕方、「今から大腸ファイバーやりますので」 
  事前予告なしにいきなり来た。そして新たに消化器内科の医師が参画。
  リウマチ科の主治医と一緒に治療を担当されるとのこと。

  通常大腸ファイバーやる時は絶食して検査当日にムーベン飲んで腸内洗浄
  という前処理があるのだが、元々絶食だし、水溶便の下血下痢の状態だから
  特に支障ないといことなのだろう。

  独歩が難しいので車椅子で運んでもらう。(私はガラガラと五月蝿い点滴台を保持)
  検査室に着いて検査ベッドに移るのにも腰が痛いのでひと苦労する。
  なんとか穴空きパンツを履いて検査開始。
  主治医を含め医師が5人くらいで見守ってる。 

  もう何度も何度もやっているが、潰瘍性大腸炎活動期の大腸ファイバーはほんとに辛い。
  肛門の奥の方がシャレにならん位に痛くて、ファイバーが入って行く時や
  クネクネする度に悶絶。

  「直腸のとこだけだからすぐ終わるからね〜」と奥に進めながら医師はいう。
  が、まだまだ終わらないことを私は知っている。
  奥に行っている間は空気を入れて粘膜を洗っている段階で、その後戻しながら
  確認していくはずだから。
  さらに小腸とのつなぎまで行くと手術した箇所をいろいろ確認してる。
  でもまあ、複数の医師に自分の状態を知ってもらうのは大事なことなので我慢する。
  
  最後に生検やって終了。
  見たところやはり潰瘍がはっきりと出来ていてすぐ出血する状態になっているとのこと。
  あと、その場の医師同士の会話では潰瘍性大腸炎らしからぬ深い潰瘍が見られる
  と言っていた。

  トイレでお腹の空気を出す。大腸ファイバー直後の排便は真っ赤だ。
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転科 [潰瘍性大腸炎]

2010年04月02日
  朝、総合診療内科の医師(若い、30代前半ぽい)が病室まで病状のヒアリングに来た。
  一通り経緯と病状を話すと、「ちょっと思い当たるところがあるので、また来ます」
  と会話だけで終わった。
  
  午後になって今度は違う医師が2名現れた。中堅と若手と言った感じ。
  (昔と比べると若い医師がすごく多くなったな、というのも今回の入院で印象に残ったこと。)

  「膠原病やリウマチを専門にやっています、ちょっと色々診せてください。」
  と、痛みを訴えている腰や胸をはじめ、股関節や頸椎、肌の状態等こまめにチェックをする。
  
  「 潰瘍性大腸炎由来の関節炎の可能性がありますね。」とのこと。
  
  膠原病、リウマチ、潰瘍性大腸炎 いずれも自己免疫異常による疾患。
  なるほど、そういうことね。と道筋が見えた気がしてちょっとだけ気分が晴れた。
  
  そこへ主治医も来て、今後の対応についてちょっとディスカッション。
  膠原病やリウマチ専門内科だけど潰瘍性大腸炎患者も診て来たとのことなので、
  この日から外科から膠原病リウマチ内科へ転科することになった。

  
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まだまだこれから [潰瘍性大腸炎]

2010年04月01日
  ちなみに主治医は18年前に手術したときの主治医のもとでサブ的役割だった外科医。
  腸閉塞や、会社の健康診断で要精密検査になったときにたまに診てもらっていた。
  元の主治医はずいぶん前に定年で引退された。
  
  主治医と今回過去の病状と異なっている腰が痛いことについて話す。
  腰については整形的なものなのかもしれないが判別が難しいので、
  明日内科のドクターに診てもらうことになった。
  
  この日腰の痛みは比較的ましで、点滴台を押しながら廊下を歩くことができた。
  絶食だが、水分はOKとのことなのでペットボトルのお茶と水を調達した。
  あと、家族に頼んで会社の携帯電話とiPodtouchを持って来てもらった。
  とりあえず、携帯電話はOFFって放置。
  
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やっぱり絶食 [潰瘍性大腸炎]

2010年03月31日
  朝食に食パン2枚(withリンゴジャム)、牛乳、茹で野菜サラダを完食。
  だがこれが最後の食事となる。
  朝の回診で主治医と現状の話をして、頻便、水溶便、下血が続いていることから
  主治医:「ステロイド使うと後がな〜、とりあえず絶食にしよか」 私:「はい」
  で24時間点滴が始まった。

  昔はIVHで鎖骨下静脈に入れっぱなしだったけれど、今回は腕にルート確保して
  点滴をつないだ。72時間ごとに入れ替えるやり方らしい。
  私は血管が出にくく毎度血管注射は苦労かけているが、この日も担当の看護士さんは
  2カ所失敗でギブアップ、別の看護士さんに交代してやっと入った。
 
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ある意味別宅 [潰瘍性大腸炎]

2010年03月30日
  救急外来の処置室から病棟へベッドのまま移動。
  15年前と同じ病棟だ、病室もナースステーションも何も変わってなかったが
  各ベッド備え付けのテレビがブラウン管から液晶に変わっていた。(これは良い)
  が、しんどくてテレビを見る気分ではなかった。
  あと、看護士スタッフに知っている人はいなかった。
  
  この日は夕ご飯がでた。全粥軟菜食だが、おかずは油を使っていないチキンカツ。
  美味しかった。(私は病院食の味付けは嫌いではない)
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病歴(続きの続き) [潰瘍性大腸炎]

2010年03月
  突然、水溶便の下痢。ほぼ一日中続くが排便の感覚から風邪なんかだろうと思い
  近所の診療所で看てもらい、下痢止めと抗生物質をもらう。
  翌日、水溶便をチェックすると赤煉瓦色・・そして排便時の嫌な痛みも出てきたので
  これはやばいと神戸の病院に行き、ペンタサを処方してもらう。
  しかし日に日に状態は悪化、完全な再燃状態。
  ペンタサに加えステロネマ注腸も処方してもらい自宅療養を続ける。
2010年03月29日
  腰が痛くて身体を起こせなくなる、這いずりながらなんとかトイレまでは行っていたが
  夜中、ついにトイレまでさえ辛くなり、もう限界と決心し家族に救急車を呼んでもらい
  無理をお願いして神戸の病院まで搬送してもらう。
  救急車内で計った体温は39.5度
  30分ほどで到着し点滴で解熱剤と抗生物質を投与してもらい、少し落ち着くが
  ベッドからは動けない状態なので、このまま入院したい旨をお願いした。
2010年03月30日
  15年ぶりにUC治療の入院生活開始。



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病歴(続き) [潰瘍性大腸炎]

1993年12月
  開腹手術につきものの腸閉塞を起こす。1週間で退院。
1995年01月
  ストーマがあった箇所の腹壁ヘルニアの手術。
1995年01月17日
  術後1週間目、阪神大震災。神戸市中央区の病院にいたので直撃。
1995年01月23日
  ライフラインの寸断、物流の停滞により医療物資が届かなくなり、
医療行為ができなくなったのですべての入院患者が退院または転院となった。
  私はなんとか抜糸までできたので退院。
1995年01月26日
  再び腸閉塞を起こし、救急車で近所の胃腸病院へ搬送される。
1995年02月07日
  入院中に敗血症をおこし、多臓器不全に。
  兵庫医科大病院の救急救命センターに搬送されICUで2週間過ごす。
1995年02月23日
  多臓器不全は回復したが、同時にUCも重症レベルで再燃しており
  一般病棟に入院する選択もあったが
  主治医のいる神戸の病院が再開しており受入可能とのことだったので神戸に転院。
1995年04月末
  UCが治まり、退院。


〜完全復活、何の治療も必要なくUCであることを忘れるくらい何も制限のない生活が続く 〜


2002年05月
  会社の健康診断で、肺がひっかっかり精密検査でサルコイドーシスと診断されるも
  まったく悪い症状が出ていないので放置(翌年の検査では消えていた)

続きはまたまた後日・・

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